沢城

別名 神戸西城 付近住所 三重県鈴鹿市飯野寺家町 現在- 
西条城
2011/1/11 碑・案内板アリ 日本城郭大系


神戸氏
盛澄→
実重→
為盛→
具盛 
 沢城は亀山城主・関盛政の長子・関盛澄が、正平22(1367)年に築いた城跡で、亀山城(若山城)を本家に沢城、国府城、鹿伏兎城、峯城を分家とし「関一党」を構成していた。城主は盛澄-実重-為盛-具盛と続き、代々「神戸氏」を称していた。神戸氏は鈴鹿郡と河曲郡の内、24郷を支配しており、天文年間(1550年前後)、神戸城に移るまで焼く200年間、神戸氏の居城であった。
 沢城の構造はあきらかでないが、現在のこの地が本丸跡と考えられ、東西約130メートル、南北約80メートルの楕円形で、周囲の水面より70センチメートル程高くなっている。周囲には「城掛」「城西」「馬渡」などの字名が残り、本丸を囲む曲輪が多数存在していたことをうかがわせる。本丸の周囲は近年、店舗等の建造物で埋めつくされているが、その際の試掘調査では、周囲が城の名のごとく沼地であったことが確かめられており、本丸南端の水路工事に際しては「むめ、かく」の墨書土器が出土している。

     


HOME